父親の術後の治療に疑問

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日本で、父親の手術後の看病に忙しくしていた、Yさんという
知り合いの方から、下のようなメールをいただきました。
プライバシー保護のため、Yさんの許可を取って、一部の情報
を変えてあります。

心が苦しくなるようなメールです。以下、続くのは、私のコメントです。
緒方
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<父親の術後の治療に疑問>

父(85歳)が右膝の人工関節を入れる手術を受けました。

手術後、痛みが激しく、「死んでもいいから痛み止めの薬を」と訴えました。
大正生まれで戦中・戦後の混乱期を懸命に生き抜き多くの
親類縁者の世話を行い、自身もがんなど何度も手術を克服してきた
昔かたぎの人物。手術までは自分自身よりも周囲への気配りを優先するなど
シッカリしていました。

我慢強いの男だった父が入院・治療で「死んだ方がまし」と訴えた
のは私が知る限り初めて。よほどの苦痛だったのでしょう。
手術室に入る前に「悔いの無い人生を生きてきたから、もう心残りはない」と
漏らしていただけに、見るに見かねた私は「麻薬でも、どんな薬を使っても
いいからラクにしてやってほしい」と担当看護師に要求しました。
すると「医師の指示がないから」などと疼痛緩和よりも「我慢」を求めました。
麻酔科医にも「なんとかできないか」と尋ねると「強い薬を打つと呼吸困難に
なる」などと専門的な説明をされて、追加的な処置はしませんでした。
麻酔科医とはそんな立場なのでしょう。

確かに父は数年前から高血圧などのいくつかの持病を患っていました。だから
鎮痛剤の使い方が難しいという医学的な理屈のようでした。
医師でない私は医師・看護師の専門的な論理には太刀打ちできません。
結果的に、患者に苦痛の我慢を強いるかっこうとなってしまいました。
いまになって、苦痛に苛まれている姿を思い起こすと、
「あんなに苦しんでいるのに何とかできないのか!」と、ナースステー
ションや当直医に怒鳴り込む蛮勇を惜しんだことを後悔しています。
病院との関係がギクシャクさせたくないという気持ちから、そうしなかった
のでしょう。

我が国においては、高齢者の手術後の疼痛管理は、どこでもこのようなもの
なのでしょうか。
この病院は優良病院のひとつです。
ナースの態度はしっかりしていて「説明責任」を果たしていました。
その対応と説明ぶりは「組織人としての訓練」が行き届いているように
見受けられました。

とはいえ、あのときのことを思い出すと、あれで良かったのだろうか、
やはり、いまひとつ納得がいかないのです。

患者が、死ぬほど辛いと訴える患者に我慢を強いるような医療は、やはり、
どこかおかしい。この疑問は素人考えに過ぎないのでしょうか?

- Y

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(以下、緒方)

私も、緩和ケアについては、私もホスピス医師、看護師から学びつ
つ処方している、いわば初級者ですが、モルヒネ系の薬を使いはじ
めてから「性格が変わった」「ぼけが治った」ような患者さんを多
く目にしています。

病院は苦しみを甘んじて受ける場所ではありません。
病院は自分らしさを取り戻したい、自分の生活に戻りたい人々が、
肉体的な苦しみと、精神的な不安と、一生懸命戦っている場所です。

NP学校で繰り返し学んだのは、自分たちの巨大な患者さんに対する
「力」について。
癒す力を、使うのかどうか私たちの判断にかかっている。
力の扱い方には気をつけなさい、ということ。
私たちの性格や、宗教や、偏見のせいで、無力な患者さんを救うこ
とも、圧倒的に懲らしめることもできる
からです。

私たちも人間ですから、judgementを下すことはあります。
長年太っていて、運動しなさいと言ったのに聞かなくて、心臓病になった人に、それ見たことか、と思わず無意識に考えてしまうのは珍しくありません。

病院にいる私たち医療従事者は、実は、聖職者ではなく、権力者なのです。

でも、ただ年によるアルツハイマーも、タバコを長年吸って肺がん
になった人も、原因不明の小児ガンも、皆平等に扱われるべきでしょう?
その人の不注意で事故にあい、結果、一生モルヒネを必要とするよ
うな痛みと生きる患者さんも、多くいます。
でも、その痛みも取り去られるべきなのです。
その人にもう一度生きるチャンスを与えられるからです。

医療者は自分の中の偏見に気づき、それを毎回捨てるような努力を
怠ってはならないと思います。

偏見は、患者に対する偏見だけではありません。モルヒネに対する
偏見
も存在します。
アメリカでは、モルヒネ系の薬のaddiction rateは約1%だ
といいます。
100人中、1人ということは、99人の人は、安全
に、addictionなしに、自分らしい生活を取り戻せるというこ
とです。
私は介護/リハビリホームで働き、病院では(急性期ケアは)働い
ていないのですが、合併症に関しても、モルヒネによる危険は多く
の誤解があると聞きます。

文化的に痛い人は痛いと叫ぶことの多いアメリカでも、患者が痛み
をじっと我慢していることはよくあります。
病院内や介護ホームで、痛みがあるかどうか、ルーチーンに聞くこ
と、そして痛みを取り去るのに躊躇しないこと
は、医療の中でも大
切な部分だと思います。

ただし、外来では、処方してモルヒネの行方を確認できません。
せめてペインクリニックの電話番号を患者に渡しています。
(アメリカには多く存在するペインクリニックが、日本でどれほど
一般的なものかどうかは知らないのですが。。。)

アメリカでしか医療経験のないもので、日本では無理だよ、と言わ
れるかもしれませんが。

私の介護ホームでの、痛みのあった元医師の患者さんとの経験が、
スマートナース 3月号の 「アメリカNP医療事情」に掲載
されるので、興味のある方は見てみてください。
痛みが取れるにつれ、性格が変貌し、最後には腹筋エクササイズま
で始めてしまった
患者さんとの思い出です。

現代医療は、そして、わたしたち医療従事者は、そんな患者さんが
自分らしく生きる手助けができる、なんとも素敵な力を持っている
のですから、人間らしく生きる手助けをしたいものです。

緒方さやか

Comments

痛み止め

私は、新生児専門のNPですが、痛み緩和のケアに着いては大変強く感じるところがあります。ネオネイタルケアという雑誌で、2005年の2月号、から4月号の3回連続で痛み緩和のケアについてしぼって記事を書きました。私の受けた新生児ナースプラクティショナーの大学院の講義の中にも痛み緩和の治療に関する物がありました。残念ながら古い医師らの訓練の中にはそういった配慮が薄かった事は確かだと思います。新生児の世界では麻酔が耐えられない、など理解がおくれ、80年代後半に未熟児の外科の手術を筋肉弛緩薬はつかっても痛み緩和の薬品を使わなかったという恐ろしい事実があるのです。痛みのケアは歴史がある意味ではあまり長くないのです。新生児の世界で痛みのケアがされる様になったのはある息子を失った母親の努力でした。そのことにも記事で触れたのですが、ひどい痛みは実に苦しく、骨などの痛みは凄まじかったと思います。お父様の苦しい御体験を本当に医療者として、申し訳ないような、読みました。オペ前のインフォームドコンセントの段階で日本ではオペ後の様子をどのぐらい痛みにかんして、度合いなども、またそれにどう対処するかなども含めてお話しされるのか、日本では何かスタンダードなのか、是非、日本で活躍される麻酔科の先生方、外科の先生方などのご意見を御聞きしたいところです。ちなみに新生児の世界では、いたいと言ってはくれません。超未熟児はいたくても声を上げて泣き出すエネルギーもありません。いたいと思われる処置などにはかなり気を遣います。また、痛みではなくても長く呼吸器をつけたりして、重症な間、居心地悪い、イコール痛みの感覚のように想定して、痛み止めの点滴や静脈注射をすることが多いです。痛みを我慢するのが徳である時代は過ぎたと願いたいです。痛みへの治療は日本の医師研修にどのように組み込まれているのか私も是非教えていただきたいと思います。ここに2005年の3月に号にかいた部分を抜粋します。”児の痛み苦しみを少しでも軽減しようと言う配慮はご両親の心をも慰める事になっているのではないかと、これまでいろいろなケースで感じてきました。何かの処置をする前にご両親に説明をしたり,インフォームドコンセントをとったりする際、必ずペインコントロールをどのようにするのかをご両親に説明する義務があると思います。簡単にでも”苦しくない様に,処置をしますから”と説明する事で子供さんが痛みを感じるという能力をもつ一人の人間であるとケアするがわが認識していることをご両親にお伝えるすことは小さな思いやりだと思うのです。”
私は自分の毎日の中で、痛みへの配慮を欠かしてはいけないと、言葉を口にできない赤ちゃんたちを前に言い聞かせています。痛いと言える患者さんの為にはもっと、なにかしてあげることができたら、と思います。とくに外科オペの後は確実に痛みがともなう事がわかっていることであり、痛いと叫ぶ万全とした理由があるのですから。


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