ホリデーシーズンのハプニング -新生児NPより-

ルイジアナ州で新生児NPとして活躍するエクランド稚子(わかこ)さんからの最新の投稿です。NPが新生児医療でする役割がよく分かると思います。
エクランドさんが以前書かれたエッセイを読みたい方は、こちら
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医療の現場にたどりつけずに亡くなった子や女性のご家族には、 I would like to express my deepest condolence and sympathy, です。

システムの改善化が叫ばれる今日ですが、新しいシステムへの考察に対して「リスクが高い」と躊躇するステークホルダーも多いと聞きます。それでも、このままじゃだめだから、とりあえず変えてみるしかないんだ、と思うのは、外野の考え方でしょうか。。。

緒方

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このサイトをご覧になっている皆さんの中にはきっと小児科ICU、NICU系もいらっしゃると思うので私の仕事内容、大学院生の指導内容など参考になる事もあるかもしれない。今日はとりとめのないまとまりのない文章になってしまう可能性がある事をあえて認めながらも、一筆したためる事にした。

クリスマスホリデーのあたりも、全く休みと関係なく赤ちゃんは生まれてくるし、妊婦さんは突然破水 したり、突然トイレに行きたいと思ったら27週の赤ちゃんがとびだしてきた、など、惨事が結構起こる。今年のクリスマスの日は27週のいわゆる突然生まれて家族を驚かせたベビーの搬送で夜中は忙しい事になった。幸い、現在順調に頑張ってくれている。

ホリデーに起こった事で一番記憶に残っているのは、一昨年のクリスマスに起こった夜の続けざまの三つの搬送である。夜8時頃24週胎盤はくり緊急帝王切開の連絡が入り、幸い、まだ回診中の医師がおり、緊急処置をしたから後は搬送チームにバトンタッチというケースがあった。その児をセンテニアル病院(私たちの管轄の一番大きいNICUがある)へ無事に搬送した。そのすぐ後に29週の未熟児が生まれたと45分ほどの病院からうけた。児を迎えに行ってそこでアセスメントをしっかり行い、搬送に安全な状態にしてから帰途につく。まず呼吸管理、ルート確保、保温、輸液、抗生物質投与、などである。さてその児もつれてかえってセンテニアルに落ち着かせた。

二人目をつれて戻ったとき一人目の児が生まれた病院から再度電話があり、破水してしまった24週の児のお母さんが入って来てしまって、調べたところ、もう 出産をとどめられない状態である事を伝えて来た、つまり緊急で戻らなければならなかった。2度ある事は3度あるなどと縁起でもない事を口にした呼吸療法士をにらむと, 私は急いで準備をしてもどった。

幸いこの病院はセンテニアル病院と同じ系列の病院で近いためこの病院で生まれてしまった場合はたいていの場合私たちのグループの医師の一人がそこへ行って緊急処置を行ってそこへ搬送チームが到着してバトンタッチをしている。しかし、2カ所の病院で重なって急な処置が必要な自体が発生する事もあり、NPが送られる事がたびたびある。24週の双子が生まれて医師もNPも飛び出していった事もある。

こういった緊急事態では、NPの行動力、判断力、と実行力は未熟児搬送と受け入れに莫大なプラスをもたらしている。

これも実際にあった事であるが、私がセンテニアルの病院で24時間勤務をしている日の事
である。もう一人医師も24時間待機しているのでもしも搬送があればNPの私が対応する仕組みになっている。北に30分のNICUのない施設で胎盤薄利のお母さんの23ー24週だと思われる児の緊急帝王切開を今から行うからきてくれという連絡が入ったのだ。センテニアルに 私と一緒に当直していた医師は、搬送チームと一緒に行くのではなく、私だけひとりで、車で、急いで行くようにと言った。

車にのったら電話をしてねと一言言われて車に乗り込み、高速をとばし始めながら医師 のいる当直室へ電話を入れた。新生児医師のその晩の当直は若い女性で仲のいい人だったのだが、彼女が、"連絡によると23ー24週ということで お母さんのこれまでのことが はっきりしないところがʼ会ってひょっとしたら23週以下かもしれないのよ" つまり、無理な蘇生をする事へのブレーキをかけるようにとの指示である。"わかりました、生まれたらすぐに蘇生への反応を連絡します"

グループの医師の一人でスピート違反でパトカーに追っかけられて、車から911をして、事情を説明しながら走り続けた人の話を思い出しながら車をかなり飛ばして病院へ着くと、その児はいまとり出されている最中で、オペ室に走り込んだ私はウォーマーの前に立ち、酸素や吸引器具の最低必要な器具がすべて整っている事を確かめた。このあたりは現地のナース、呼吸療法士が心得ている。

私の手のなかにうけとった児は明らかに24週のあたりに見えた。(これは何年もこの仕事をしていると発達の加減で予想がつくようになる。皮膚の様子など、未熟児の度合いに関しては目が慣れてくるといったらいいかもしれない)。確実に23週をこしてどちらかというと24週に近い、と私は判断した。

すぐに保温されたベッドへ移し、乾かし、 体温を保つためサランラップで児の全体をくるんだ。 心音を確かめながら酸素マスクをあてがう。一応80以上の心拍数があり、腕足をよく動かす子だった。酸素マスクで酸素を送り込むうちに心拍数はすぐに140ほどまであがった。

この時点で私は電話をいれて、酸素マスクをあてがうだけで心拍数が向上し反応がこの時点では良い事を告げ、(電話をかけてくれたのは現地の病院スタッフ、私が目と、手をこの産まれたばかりの子から離さずに済むように受話機を耳元にあてがってくれていた)さらに23週は十分に超えている判断をしたと報告した。医師は、それでは、救急車を送ります、そのまま続けてくださいといって電話を切った。

血色も良くなったのを見届けてETチューブを挿入してベンチレーターにつなげる。体温の事を気にしながら15分後にUACを入れるとそこから採血してABG、などなどの検査をする。血糖値などが下がってしまう前に輸液を入れ始めたい。そのために急い でUACを臍帯の動脈か静脈を使って挿入することで一番早くルートを確保できる。

静脈にもカテーテルを入れた。胎盤薄利の度合いが分からないが輸血または緊急に何らかのVolume expansionをする必要があるかもしれないし、昇圧剤が必要になるかもなど、頭のなかは忙しくいろいろな事を考えていた。とにかくその時点では幸いバイタルサインが安定していた。胸部腹部レントゲンでカテーテルの位置、気管チューブの位置、肺の様子を確認した。

救急車がそのうちにナースと呼吸療法士を連れて到着した。レントゲン、十分な酸素飽和度レベルを保つために必要な呼吸器のセッティングのレベル、肺の動き等々から、サーファクタントの注入をする必要があると判断した私はセンテニアルから到着した、私たちのチームの呼吸療法士(RT)に指示を出した。自分でする事もあるが、たいていはこれはRTが訓練をされており、NPがしなければならない事ではない。

その日のRTはベテランであったので何の心配もいらなかった。チームワークの仕事分担である。しかし、少しでも心配なら必ず自分で行う事にしている。超未熟児のケアに落ち度があってはいけない。

両親への説明、 インフォームドコンセントなどで、母親の家族と面会した。これはNPの責任である。この時点で24週と仮定してリスク、死亡率、成功率、脳性麻痺などの可能性も含めて呼吸管理、輸血の必要性、などの現実的な話をしなければならない。脳室内出血の確率が高い事も隠さず話した。どれほど丁寧に児を扱っても避けられない事かもしれないけれど、最大の注意を払って搬送をすることを伝える。

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私はバンダビルト大学の看護学部の一応教員ということになっているのだが、NP大学院生のレジデンシーの現場での教育指導も随分して来た。

その経験から残念ながら、看護が好きだから、未熟児が好きだからというだけでは、使えるNPにはなれない事も現実として受け止めている。卒業させてあげられないと深刻な話をしなければならなかった学生もいた。私の在学中やはり二人ほど卒業できずにNPになることを断念した学生もいた。

学校によってある程度厳しさが違ったり、求める最低限が違ったりするのはどうしても仕方がない。ただ、危険だとおもう学生は決して安易に臨床訓練を完了させられない。協調性、チーム感覚も持ち合わせているNPでなければ共同関係をもつ医師にとって大変な危険な存在となるからだ。

これまでにレジデンシーまたは、実習で指導した学生からNNP教育に着いて考えさせられる事も多かった。ある学生の一人は勉強のできる子で現場でも機敏な行動力を見せた。ナースとしての経験も2年ある事からいろいろなケースを体験していることは確かだったが、残念ながら自信があり過ぎで慎重な判断に欠けていた。

この学生には本当に苦労させられた。最初から領域を心得ない傾向のある学生のために特に私を選んだ、とNNPのリーダーが言うのでどんな学生かとおもったが予想よりも難しい相手であった。簡単に説明できないのだが、NPとしては本物になるのは確実な実力を持っているのは否めなかったし、技術の習得もちゃくちゃくと進んでいたのだが、協調性、協力関係ということの意味を今ひとつ習得するまでに至っていなかったのだ。
チーム医療を理解できないNPを世に送り出すと、NP自身の指を詰める事になると私は感じた。

チーム医療というのはチームの中で自分ひとりが秀でる事では成り立たないし、ベストのアウトカムへ期待できない。NP教育の中で有能な人をチームプレーヤーとして育てていくことの貴重さを感じた。

私が現在の新生児医師とNNPのグループに入ったとき(2003年)、私はNPでは5人目であったのが、なんと約6年経った今、NPの数が15人になろうとしている。医師の数は7人から9人に増えた。毎年必ず一人、二人と増えて来ている事は新生児集治療でのNNPの貢献部分の大きさを表していると考えることができるとおもう。


私たちのグループで初めてのNPとして入ったパッティはこう語ってくれた。最初の頃はドクターがど こまでNPに任せるか、お互いに戸惑いがあった。年月かけて、お互いにすこしづつ、距離をあけて動けるようになったという。特にドクターのトップであるサミーは細かい事に気をつかう医師で、ケアの質 にとてもこだわる。最初に入ったパティの優れた判断力などのおかげでだんだん彼はNPの実力に魅了さ れていったという。というか、実際に安心して一緒に働けるお互いにプラスになる存在であると感じられるようになった。搬送にパティを送り出すようになったのも、少し時間が経ってからだったそうだ。

パティは笑う、最初は何でもチェックされたけれど、だんだんチェックする頻度が減り、チェックされる項目が 減っていったと。彼女はいま15人のNPリーダーである。そんな日が来るとは夢にも思わなかったそうだ。


これから日本で活躍を期待されて、考察されているNPも、それぞれの専門域で共同関係をもつ医師や、 他の医療チームメンバーと上手なバランスを保って効率よく質の良い医療を提供できるように努力していくという、大きな課題がある。

世界一流の医療技術がある日本でも、それを提供するための人材が足りなければそれを必要とする患者の住む社会に十分な安心を提供する事は難しい。ベッド不足、人材不足が指摘されるが、この日本の医療世界で大きなポテンシャルを秘めた看護が役割を拡大することで、患者の安全に貢献できる日は、すぐそこまで来ている。

2009年1月
エクランド稚子

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