アフリカ・コンゴの看護師

医療政策に関わりのあるジャーナリストの尾崎雄さんから、次のような「コメント」をいただきました。
なんて素敵な看護師さんでしょう。こういう方の努力と、the determination to serveによって、人の命が救われているのでしょう。本当に、いつかこの看護師さんのもとを訪ねてみたいと思います。

私も大学を一年休学してグアテマラとニカラグアにエイズ関係のボランティアとして行きましたが、私が「あげた」「助けた」ものや人よりも、ひとびとが私に「くれた」ものの方が圧倒的に多かったように思います。それは、栄養失調で髪が脱色したようになっていても私たちのためには貴重な鶏を殺してもてなした村の人々の心でもあり、私のナイーブさを打ち砕く貧困の現実であり、売春宿に囚われていながらプライドを失わない女性の強さであり、文化の奥底で人間は結局同じ幸せを求めているという真実でした。

ところで、グローバルヘルスの分野でも、ホームレスの分野でも、「助けることが本人のためにならないんじゃないか」という意見がよく言われます。もちろん、いずれは本人たちが自分たちを助けられるシステムを構築することがゴールでも、それまでにはいくつも、「これは助けない方がいいんじゃないかな」という迷いがあって、それが辛かったのを覚えています。

ポーランド人の友達は、5歳のころ、国連団体が来て子供たちに数の足りないクレヨンを配る時、一斉に物乞いのように手を伸ばし、クレヨンを下さいと叫ぶ、その一見奉仕的な行為を受け取る側として、子供心にも自分の価値が物乞いをすることで踏みにじられていくような感じがした、と言っています。

でも、医療においてはどうでしょう。それは、助けないわけにはいかない。グローバルヘルス界で有名な、ハイチなどの発展途上国でエイズクリニックを次々と開院しているPaul Farmer氏(ハーバード医大卒)の言葉は、シンプルですが、的を得ています。

For me, an area of moral clarity is: you're in front of someone  who's suffering and you have the tools at your disposal to alleviate that suffering or even eradicate it, and you act.

自分にその能力のある限り、助けないわけにはいかない、ということ。
言うはやすし、行うは難しですが、このコンゴの看護師さんやPaul Farmerのやっていることに比べれば難しいことなど少ないだろう!と信じて、そんな姿勢で医療や看護を提供していきたいですね。

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アフリカ・コンゴの“NP”
2008-09-23 13:56:03
尾崎 雄

緒方さま

はじめまして。東大・医療政策人材養成講座を修了(2期生)した元新聞記者です。

地域で働く看護師の生き方・働き方、とりわけ在宅ホスピスにかかわるナースに関心を持ち、ときどき関連記事を看護・福祉の雑誌などに書いています。先日は、医学書院書院の雑誌に看護師のライフ・ワーク・バランスの先駆的事例について記事を書きました。

7月には、たまたま、アフリカのコンゴで26年間、地域医療に携わっている日本人看護師(シスター)が一時帰国したので、東京でお会いしました。神戸出身の67歳。看護師のほか助産師、保健師の資格を持っています。

コンゴ奥地の農村にクリニック、病院、ハンセン氏病療養所、栄養指導センターなど医療施設を看護師のみで建設・経営し、現地女性を対象に看護教育も行っているそうです。

医者が常駐しない奥地ですから、診察、医薬品の処方から傷の縫合や輸血まで外科手術以外の医療行為はすべてナースが行っているそうです。言ってみれば、コンゴ奥地の農村医療は外国人のNPによって支えられているのですね。帰国したら、もう一つ新たな診療所をつくると言っていました。

使命感などおくびに出さず冗談ばかり言う明るい女性で、「是非、コンゴに一度遊びにいらっしゃい」と誘われました。緒方さんもコンゴのNPの活躍ぶりを現地でご覧になったらいかがですか。私はバングラシュに行ったとき医療設備の乏しい(注射針の使いまわしは当たり前)農村で働く日本人ナースに会いましたが、彼女らは「日本ではできない貴重な体験をしている」と語っていました。

長くなりましたが、私が知ったNPに関連する話題として書いてみました。

Comments

外国での看護士の姿

こんばんわ、ハイチの首都から車でグネグネ道を3時間かけて行く、南岸側の村で3ヶ月ほど医療チームと一緒に仕事をしたことを皆さんの対談を読んで、思い出しました。その当時(10年以上前になります)いらっしゃるクリニックの患者さんは4人に一人がエイズを持っておられました。その当時私はNPではありませんでしたが、それはお構いなく、出来る事はしてもらいますという感じで夜にTropical Medicineの講義が毎日のように行われたり、救急医療、産科の医療などの必要とされる機会の多い事柄について、みっちり教えていただいたりしながらの体験でした。外科医にオペに一緒にはいって、縫合など手伝うようにと訓練をされました。(みかんの皮にSuturingの練習を実習しました)そのときのチームリーダーであるドクターと奥様は全世界で90カ国以上一生の間に夫婦で回られたという発展途上国の医療に生涯をかけられた方たちで、看護士の奥様を麻酔看護士として、訓練して、外科医であられるご自分のパートナーとしてあちらこちらでオペをしてこられました。私が医療に興味を持ったのはそもそもその方たちが私が高校の2年のときに日本で公演をされたのを見て、聞いたときでした。正式には麻酔看護士としてアメリカではこの奥様が始めて実践されたのだと思います。はじめられたのは50年以上前のことです。ほとんどの生涯、外国ですごされたのでアメリカの正式な麻酔看護士の免許はもたれませんでしたが、ご主人いわく、”家内は有能な麻酔看護士だよ”
。このご夫婦の娘さんの、アンさんは南米で生涯NPのようなことをされています。ある日、銃で間違って撃たれたご自分の足を娘さんはご自分で手術されて、銃弾を取り出されたとか、すごい話も聞かせていただきました。ボートで川を下らなければ人が行けないところにずっと20台後半からもう30年以上すんでおられます。アメリカで助産氏の免許をお持ちです。
外国での医療は使える人は全部使っても間に合わない、という状態が多いので、しかも制度の問題がないところも多いこともあって現在いう、NPのような裁量権の拡大された非医師医療提供者が先進国よりも早くからInformalに確立されてきたのですね。
このように外国での医療体験のある方々の姿に影響をとても私は受けました。ハイチの村では鶏を自分で生きているのを買ってきて料理することも覚えなければ食べるものも変えないところでした。お肉屋さんは鶏の放し飼いにしてあるところではじめはぎょっとしましたが、、、
話がそれましたが、何よりも教えられたことがたくさんありました。どのような文化の下に生まれてきていても親が子供の病気の悲しい診断を聞いたときの悲しみとか、妻が末期の乳がんであると知らされたときのご主人の涙とか、くちびるに奇形をもった赤ちゃんを迷信を信じて捨てようとされた親御さんとか、それを先ほどご紹介した外科医が整形手術をされてきれいに治されたあと、それが村全体にあたえたよろこびとか、今思うと今の自分に大きい、何かをくれていたに違いないと思わずにはいられません。

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