チーム医療への応援(新生児NPのエクランド稚子さんより) PART1

下記の投稿は、ルイジアナ州在住の新生児NPでいらっしゃるエクランド雅子さんからいただきました。このような投稿は、いつでもとっても大歓迎です。管理者:緒方(teamiryou@mail.goo.ne.jp )までメールしてください。



9・25・08
チーム医療への応援
執筆者:エクランド雅子
チーム医療への応援

最近ふと、ほっとさせられる一瞬があった。一生懸命チーム医療を推進しようと努力しておられる方々が随分たくさん日本にいらっしゃるということを知ったのだ。2004年の春から2006年の12月にかけて、確か33回の連載をメディカ出版社のNeonatal Careというジャーナルに書かせていただいたことがある。新生児医療チームの一員として新生児集中治療専門ナースプラクティショナー(NNP)としてアメリカでの私の仕事内容、NNPという制度が始まった歴史、NNPと医師の違い、役割分担などなどを多様な側面から書かせていただいた楽しい有意義な体験だった。其の時すでに日本の小児科不足、産婦人科不足、救急施設不足、などなど、うわさと事実と両方を新聞や医療関係の雑誌から、また、アメリカに住む米国へ研究などのために来ておられる医師たちからとの対話から深刻さを知らされていた。アメリカ社会もその土地の広大さも日本以上に影響して過疎地での医療問題や、離れた地域の高度な医療施設への搬送の必要性、疲れすぎの医師らや研修医と医療過誤の問題などから現状維持はおろか将来の医療を医師のみでやりくりする不可能さと不必要さを認識させられた歴史的地点があったといえる。つまり、有能な看護士が、“私たちを訓練してくれたらある程度の医師の力になって複雑ではないケースを担当するなり、簡単な処置を手がけるなり、医師と、看護士との間の壁を低くできるのではないか”と提案したことがそもそもの始まりというわけである。
そんなこんなで日本の医療にいつかナースプラクティショナーなるものが必要になり、それの可能性に気が付く人が出てきたらと願いながら新生児医療という世界の私の小さい体験ではあるが、是非、紹介したいとおもって毎月記事を書いていた。プラクティショナーの存在から看護の質も向上する可能性はあるであろうし、医師らの仕事状況も改善されるはずである。患者家族の満足度にも好影響が期待される、さらには医師らと、一般看護チームとのつながりが さらに強固する可能性もある。これらは私の経験からみたNP存在の特典であるので日本ではまったく思いもよらない好影響が求められることにも大きな可能性があり、期待したいところである。
記事を書いていたときはある意味で興味をもった方は余りおられなかったように見うけられた。日本国内のNICUでは医師が充分に存在し、疲れすぎ現状はありえず、NICU人口を支えてゆくマンパワーに問題はないという一般認識があるのかもしれないと一瞬思ったり、医療世界でも特別分野である小児科内の新生児医療をいうものを看護士なる人物に一部とはいえ任せられるような状況は想像不可能かもしれないと思ったりしていた。とにかく医師と、看護の壁は大きく感じられた。いくらかの看護士らと交流する機会に恵まれたが多くの看護士の意見は大きな壁を感じているといったことであった。新生児医療にはチーム医療というフィロソフィーは日本では応用しにくいのかもしれないし、必要がなければ必要とされないわけであるがこれだけ日本国内でチーム医療への動きが目覚しくなり、大分県でははじめてのナースプラクティショナーの学びが始まっていると聞くからには、これからの日本の医療の更なる向上ために、私の生れた育った国のために、大切な家族や親戚の住む国のために、場所は離れているが声をあげてエールを送りたいと心から思わずにはいられない。

ナースプラクティショナーと私の出会い

最近日本の知り合いが入院をした。病院内でのさまざまなことを眺めながら、NPの存在があれば、どれほど、医師らの負担が軽減し、医師の目の届かないところで起こる現象への対応のレベルが一般的に大きく向上するかと考えていた。さらに看護スタッフの基礎知識の向上へもNPの存在は貢献できると思った。それは何科であっても言えそうな気がする。看護スタッフの基礎知識へのNPの影響に着いては将来よい看護研究課題にもなるだろう。
まず、私の専門である、新生児集中治療専門のナースプラクティショナーはNeonatal Nurse Practitionerといわれ、ここからはNNPとよばせてもらおう。ただ、私はすぐに新生児に興味を持ったのではなかった。私は渡米したのが、1987年、21になったばかりのときだった。サウスカロライナ州の大学で看護学を4年間学んだ後、91年にRNの試験に受かり、それ以来さまざまな部署で仕事をした。最初は心臓外科、循環器関係に大変興味があり、心臓関係でいずれは修士を取りたいと思っていた。 今は以前ほど、詳しくなくなってしまったが(新生児の不整脈は大人ほど頻繁ではないので)モニターのリズムを読んで、ああ之は、Complete Heart Blockだとか、レジデントも顔負けなぐらい、好きな分野だった。ところで、モニターの読みかたは、日本でも同じだと思われるが一般看護士の知識として 要求される。其の時に心臓外科医のグループにプラクティショナーがいて、入院患者の回診などに、かかわっていた。それがひょっとしたら私の最初のプラクティショナーExposure(出会い、始めて直接触れること)かもしれない。サウスカロライナの病院の循環器、心臓外科、ボルティモア市にあるJohns Hopkins大学病院の移植外科、バージン諸島のセントトーマス島の病院のICUなどかなりの距離を網羅した。
94年秋にあるきっかけからそのときいたテネシー州立大学病院のCCUをやめることになり、その代わり、NICUに再就職する。アメリカでは配属が変わるという表現は看護の世界ではほとんどない。自分で選ぶ部署に就職をするわけで後から配属を換えられることは滅多にない。私は大人を扱う世界に幻滅を感じ、看護をやめようとまで 思っていたときであった。あれだけ苦労してとった免許を(英語の勉強だけでも苦労だったのだから)棒に振るのはと考え直して完全に世界の違うNICUを選んだのは今の私につながる結果になった。
初めてNICUに勤務したのは大学病院の45床ほどのところで、NNPが活躍していた。良く見ていると緊急の搬送に出て行って遠くの小さい病院などで生れてしまった未熟児に医療ケアを施して落ち着いた状態でつれて帰ってくるのはNNPであり、夜の当直をしているのもNNPだった。昼間には回診をしていたし、緊急の分娩に呼ばれて生れた新生児に対応するのもNNPだけだったりNNPと医師と両方だったりであった。私は夜勤を主にしていたため夜に困ったことがあったり、急変があると、NNPが殆どなんでもこなせる事をみて驚いた。だからといってひとりで全てをしていたのではなかった。絶えず、医師とのコミュニケーションがある。
夜勤中に分からないことがあれば医師よりもアプローチしやすかった。中には医師と同じぐらい見た目にこわそうで、“こんな初歩なことは、質問しにくい”と思う相手もあったが聞くといつも答えてくれて元が看護士だからか説明のしかたが受け入れやすかった。医師らも看護スタッフとは仲が良かったけれど、教育レベルの違いから、基礎知識に隔たりのある医師から教えてもらうのとは随分違う感覚を覚えたこを記憶している。少しづつNNPという存在の意味が分かっていった。

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