看護協会「検討していない」

医療・福祉ジャーナリスト・元日本経済新聞編集委員の尾崎 雄さんから、看護協会の記者会見に行った時の感想をいただきました。先日載せた記者会見に関する記事
に加えて、もうひとつの視点を加える意味で、ご覧ください。下に続くのが私の感想です。


***

6月16日、日本看護協会の記者会見がありました。
そこで、NP導入に対する看護協会の見解を質したところ、
久常節子会長は、
「NPの導入は検討していない」と、言明しました。
すでに「NP導入は容認しない」との公式見解を発表した日本医師会に比べ
慎重な姿勢です。

日看協の副会長である草間朋子大分看護科学大学長が大分の病院と
連携してNP特区を申請していることについては、「草間氏は、本協会の
副会長就任前からNPにかかわってきた」(久常会長)とのこと。


会見終了後、同協会の理事らに聴いた話に基づく私の見方は以下の通り
です。

昨年から日看協にはNPに関する外部からの問い合わせが増えている。
2月開催のマスコミ対象の勉強会でも、他の問題よりもNPに質問が
集中したとか。
そうした問い合わせに対応するには、わが国の事情に合ったNPが
あり得るのか、あるとすればどんな形がありうるかなどについて調査・
研究が必要で、その方向性が見えてくるまで 「検討する」とは言えない、
ということのようです。「検討」=「導入に前向き」という印象を与えること
を恐れているような気がしました。

日看協がNP問題に対して及び腰なのは、その制度上の位置づけが
医療制度にかかわる大きな問題に発展するからでしょう。
例えば、日本版NPの位置づけは、
㈰専門看護師の延長線上に置く「スーパー看護師」
㈪補助医師・ミニドクター的な「準医師」
㈫医師でも看護師でもない全く新しい制度として創設する医療専門職
 ――が考えられます。
  
看護師の職能団体である日看協が、上記の㈰㈪㈫のいずれにNPを
位置づけるか? それは、日看協のありかたと将来にかかわるだけに、
慎重にならざるをえないのでしょう。

また、㈰については、待遇や医療専門職としての位置づけが不十分なな
まま、人数だけが増えてきた認定看護師に対する反省からNP養成が
浮上したという側面もありそうです(この日の会見で日看協が発表した
認定看護師の数は、17分野5794人。認定看護管理者は698人。この数が
多いか少ないかは別の問題ですが)。

日医との関係では、療養通所介護の制度化の当たっても何かと確執が
あったようです。さらに、医学会との関係では外科系学会が看護協会に
先んじてNP調査団をアメリカに派遣したり、学会でシンポジウムのテーマ
に取り挙げたりするなど、NP問題では看護協会は医師団体から遅れを
取っているようにも見受けられます。

この問題の背景には、医師会vs看護協会、看護協会vsNP養成大学、
医師会vs一部医学会……など複雑な構図がありそうで、コトは簡単では
なさそう。
その意味で、大分でNP特区が 申請どおり実施され、NP導入効果の
エヴィデンスが得られれば、硬直した現状を変えるブレークスルーになる
かも知れません。

いずれにしても、NP導入是非の判断基準は、言うまでもなく、医療コストを
負担する患者・被保険者一般市民にとってNPが役に立つのか否かという
一点に尽きると思います。ここでも「患者中心の医療」が試されています。

尾崎
***
(以下、緒方)

確かに、コトは簡単ではないのは確かです。


実は、私がNPについて看護協会でお話させていただいたのは、この16日の午前中でした。
看護協会の久常会長は、「CNSを通して看護の役割拡大をするのは大賛成だが、NPという職業を作ることには、まだ考察が必要だ。どんどん勉強会を開いていこう。」とおっしゃっていました。

副会長(坂本先生と草間先生)はお二人ともNP作りをリードしている方たちですが、役員全体では「保留」の意見の方が多いのかなという印象を受けました。

しかし、私はそこで「これから考えましょう」という意見を聞いてあせりを感じました。「何も言わないこと(意見保留)」=「看護協会の意見は関係ない」=「看護協会は看護に関することでも決める力がない」と、世間には取られると感じたからです。

すでに、「医療に関連して、看護にちょっと関わるようなことでも、政府は医師会にはご意見伺いに行くけど看護協会には行かない」と、政府関係者から聞いていました。大変残念なことです。

私のあせりのトーンを感じたからか、会長のご意見に対して、役員のひとりの方が「もうずいぶんと勉強していますよ」と発言されていたのが印象的でした。

アメリカでは、NPは当初看護連盟の反対にあって開始が遅れ、医師会はその様子にじれったさを感じたのか、看護協会ぬきに作れるPA制度をさっさと作ってしまいました。(その同じ年、看護協会や連盟とは別の場所で、NP講座を小児科医と保健師が作ってしまったのが、現在のNPの始まりですが。)

それが日本でも同じような軌跡をたどるのかな、と思うと、残念な気がします。

ただ、「NPを作ることが本当に患者さんのためになるのか、よく調べる必要がある」と会長が指摘していたのは本当で、残念ながら、NPを作れば患者が助かるかどうかは日本では不透明です。NPができると僻地の患者が助かる、コストが下がる、死亡率が下がるというのは、アメリカのデータです。特区が通ってないので、NPの働きようも調べられないのが現実です。

ただ、そんなにデータを待つ、待ち続けるのでは、医療を変えていけるのでしょうか。

と、いうことで、日本の国民の意識調査をする必要を感じています。NPは存在していないので、できるのは、今の国民に対して、NPのようなものをどう思うか、聞いてみること。今まで2点しかそのような研究は出ていません。(以前もブログで書いたように、遠藤久夫先生のと、湯沢先生&関先生の)

もっと、そのような研究をする必要があると思われます。学生で、研究テーマを探しておられる方、教授さんに相談してみてください。ただのアンケートのようなQuantitativeリサーチ でなく、Qualitativeリサーチだと、フリートークで、日本に合うNP像を模索できるのでより役に立つかと思います。
また、認定看護師が「より幅広く診療でき、処方もできるようになった場合」という言い方で、そのような存在の看護師(NP)認めてくれるかどうか、すでに認定看護師を知っている患者さんたちに聞いてみるのも面白いかなと思います。
どうでしょう?

緒方

Comments

NP奨励はするけれど

緒方様

初めてメールいたします。
来年より大学の教員になる予定で、今は博士課程で勉強中です。
専門は成人看護学です。

ここにきて、NPを導入する、しないが話が急にもりあがっているのをみて、「なんで?」と感じています。

かれこれ10年以上も前にその存在が日本に紹介されたときは、「ふーん」くらいで、当時は准看護師廃止が大きなトピックスでした。結局、准看護師に関しての法整備はそのまんまで養成所もあいかわらずです。
その後、お書きになられているとおり、非常に多くの専門看護師、認定看護師を輩出いたしました。そして今看護教育の4年制化です。

田舎の療養型病床では准看護師のママさん(50歳代)が1人、看護助手2人で60人以上の要介護度オール4-5の患者を夜勤で見ている、ということも事実です。患者看護の質の向上といえばまずこういうところじゃないの?と思ってしまいます。

個人的にはNP導入には賛成です。(ただ、国全体が浮足立っているようにしか思えないので、ちょっとな、という気がしてます)

これから看護をめざす人たちの希望になりますし、それこそいろいろなイノベーションが生まれそうで楽しみです。
患者のためになるかどうか、は 世界でまれにみる少子高齢化社会に突入する”みぞうゆう”の状況ですから、何がよくて何がわるいかはやってみないとだれにもわからない、ということだと思います。

日本人の感性はとても柔軟にできていて、うまくシステムを使いこなすことができると思います(クリティカルパスしかり、機能評価しかり)。医療現場はいい意味でもわるい意味でもふるきよき日本文化が残っていると思いますから、いったん導入が決まれば、みんなで知恵を絞って文化にあったものに変えていくんじゃないでしょうか?

今後も期待しております。


Unknown

久しぶりにコメントさせて頂きます。

現在、日本でNCLEXの勉強をしています。
やはり、目標はアメリカでNPとして働くことです。
正直、私は日本で専門学校卒業でして、アメリカでどれほどの教育の厳しさがあるのかという想像すら出来ません。
なので、アメリカで臨床をやってから長い年月をかけてNPまで行こうと思っています。

さて、アメリカの外国人RNの受け入れがただいまストップしておりますよね。
再びドアオープンになるのがいつのことかはわかりません。個人的には来年は景気が回復し、遅くとも2~3年以内には再び雇用してもらえるのではないか?と、あくまで個人的な考えです(その辺は、実際病院で働いている現役RNの方が詳しいですかね?)。
加えて、日本ではNP養成が始まっております。NPと言うものが、実際日本の医療に存在するのもいつのことかは分かりません。

最終的には日本へ戻ってくる予定です、いつのことかは分かりませんが、アメリカで十分経験を積んだら。。
その時に、アメリカのNPが日本で同じNPとしてライセンスを貰えるのかはナゾです。
外国人RNのドアオープンが予測される2~3年の間に、日本でのNP養成に行こうかと思っております。
そうすれば、日本に戻った時にNPとして働けるわけですから(NPが認められていればですが)。
そう考えたりもしたのですが、もしかするとアメリカの教育がトランスファー出来るという可能性もあるんですよね・・。それを考えると、年間150万以上出してわざわざ日本でNPに行っておく必要があるのか?と、悩んでしまいます。
仮に日本でNPを取ったとして、その単位がアメリカでトランスファー出来るものかどうかも不安ですし、出来たとしても日本の教育がアメリカでは通用しないとも思っています。だったら、アメリカで一から院に行った方がベストな選択ですよね、多分。
でも、日本でNPを取っておけば修士号となるので、アメリカで働く際は有利かなとは思うんです。

日本のNPのカリキュラムも具体的には分かりませんし、アメリカも分からないので比較しようがありません。
日本でも、アメリカと同じような教育内容だというのであれば、迷わず日本でも院に行きます。

皆さんが私だったら、一体どのような選択をされるでしょうか

日本人の国民性

やはり日本人の国民性ではないでしょうか?
日本人は周りを気にする国民です。周りの評価を特に気にします。信念に基ずいて自分の意思を通すというのは日本人にとって難しいことではないかと思います。

わたしも緒方さんの意見に同意します。形が出来上がり世間に認められることで制度も整備されていくのではないでしょうか。

山之内

Unknown

コメントありがとうございます。

なるほど。確かに、導入するかどうかに大変な時間と労力を費やして、結局導入しないということになるのは、確かになりそうなパターンですね。法的なことでは、変化に時間がかかるのは、日本の特徴ですね。

でも、文化的な側面から行くと、日本ほどぐんぐん変わっていく国も珍しいとも聞きます。言語も、ファッションも、携帯も(!)、日本は一時帰国のたびにいろいろ変化/進歩していて、いつも驚かされます。

ですから、日本の医療を動かしたい、患者さんたちのニーズを埋めたいと思ったら、文化的に取り入れて、法律が後でついてくるという方が動きやすいかもしれません。

えーと、これは単に今考えついたアイディアですが、看護師(やNPや認定看護師)が心身一体的なケアを、医師の診療にあわせて提供するのが、「トータルケア」と名付けられ、慢性病やがん患者さんなどの間で人気となる。今までの医療とは違い、その一段上を行くクオリティーに、実際血圧や血糖値が下がるとのデータも出てくる。
そのトータルケアをする病院は人気となる。実際診療に深く関わった看護師たちは、ほとんどNP的なこともなし崩しにすることになる(今でもそうですけれどね。) その統計や、NPたちの教育などを鑑みて、NP修士号を持ったものの診療行為が合法化するー。

これだと、本当に患者さんのためになると思うのですが。
もちろん、集中医療の患者さんたち、救急医療現場などでは、NPは「看護哲学で」としてよりは、とにかく診療師として役に立っているわけですから、この「トータルケア」みたいなアイディアは使えないかもしれませんが。

あと、もうひとつ、宇都宮で講演した際、「形だけアメリカのまねをしてERを作ったら、失敗した。スタッフ不足の問題などを熟考せずに始めたからだ」というご意見をいただきました。

形だけ真似て、「とりあえず始める」も時には問題ですね。

ですからこのようなサイトを通して、日本のNPのカタチというものを、制度導入に先駆けてじっくり考えていけたらいいと思っています。

ご意見お待ちしてます。

緒方

文化の違い

外国のシステムを日本に取り入れようとするときに、必ず日本人が躊躇する原因のひとつに「文化の違い」があげられます。

「文化が違うから、日本にはあわない」「文化が違いすぎるから、日本の土壌にあったものでないといけないから、慎重に検討する必要がある」などという言葉を、日本にいるととてもよく耳にします。
一見、とても大切な検討項目で、すごく説得力があるように聞こえますが、実際、このようなことを言っている人たちの中で、本当の意味で日米の文化の違いをしっかり認識している人がどれだけいるでしょうか。

よその国のシステムを取り入れるときだけではありません。日本の臨床現場で働いていたとき、本当に小さなシステムを少し変えるだけでも、ものすごい検討が続いたことがあります。それでも、その長い検討の結果、次のステップに行ければ良いのですが、何も変わらず結局そのままで、、その検討に要した労力は、どこに行ってしまったんだろう、とガッカリしたことがあります。

なぜ、このようなことが起るのでしょうか。

私は、このことそのものが、日米の大きな「文化の違い」のひとつなのではないか、と思うことがあります。なぜなら、アメリカで、よその国のシステムを取り入れるとき、「文化が違うから検討しなくては、」と、日本ほど、検討しているのを見たことがないからです。

ひとつには、アメリカは、日本のように単一民族ではありません。多くの国から移民してきた人たちで出来上った国なので、よその国のものを取り込むのに慣れています。
というか、例えば、イギリスから移民してきた人が、アメリカにいれば、イギリスのシステムを取り込むのは比較的容易です。自分たちが自分たちの国でもともと使っていたもので、アメリカになかったものがあったとすれば、彼らはその長所欠点をよくわかっているので、検討段階で論議があったとしても、スムーズに進むことでしょう。

または、歴史からくる日本の体質かもしれません。
日本は2000年の長い歴史から作られた国です。歴史や伝統を大切に守る必要があるという共通意識があります。
反対にアメリカは建国200年です。アメリカが、アメリカの歴史を守るならば、コロンブスが大陸発見したときまで、自然と共存して平和に暮らしていたインディアンの生活です。
ヨーロッパ大陸からの移民たちは、彼らの文化も歴史ももろともに壊し、次々と開発を進め、世界でリーダーシップをとる国までにたった200年で成長してきた国です。
変化へのパワーがあります。良いと思うことはどんどん進める、そういうエネルギーのとても高い国だと思います。

歴史上に起った中でも、失敗や間違った決断はたくさんありました。
でも、間違いは間違いと認め、そこに固執するのではなく、それらを土台に「前に進むことに全力注ぐ」という切り替えがとてもうまい国民性があると思います。
日本は、そういうことがあれば、メディアや世間からパッシングにあい、責任問題、辞任、など精神的に追い込まれるようなところがあります。ニュースだけでも十分なのに、ワイドショーで繰り返し繰り返し報道され、責任者は追い込まれていきます。そういう社会では、新しいことをはじめるのに二の足を踏むのは当然でしょう。失敗が怖くなります。完璧なプランを立て、完全な結果が出せなければ、行動できなくなってしまいます。

新しいことを始める時、どんなに念入りに考えても、どんなにすばらしい計画をたてても、やってみて初めて見えてくるものがあるのは、当然なのに、それを許さない完ぺき主義の国民性があるとすれば、それは、システム改善の大きな壁です。

決断を下す際に、思慮深くなくてはならないと思います。
でも、私たちが決して忘れてはいけないことは、どんなに文化が違っても、決して変わらないものがあるということです。
それは、患者さんの命です。そして患者さんが求める医療者の姿です。

NPをどの位置づけにするか、
㈰専門看護師の延長線上に置く「スーパー看護師」
㈪補助医師・ミニドクター的な「準医師」
㈫医師でも看護師でもない全く新しい制度として創設する医療専門職

このような検討も、もちろん大切だとは思いますが、今、医師不足のために失いかけている患者さんの命があるのであれば、この位置づけを考えるより、命を救うことの方が先決であるべきではないでしょうか。名前は後で改正することもできるはずです。一刻も早く、医療不足が解消されるような人材を育てられる教育を整えはじめるべきです。

病んで苦しんでいる人たちが、医療者に求めるものに文化の違いはありません。世界各国共通です。

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