あやふやなNP定義

下は、NPの定義について聞かれた、とある方へのメールの返事です。
参考まで。

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アメリカのNPの定義はだいぶあやふやです。
というか、ものすごく定義が広く、本当にいろんな役割や責任のレベルを果たしているのです。
教育でさえ、修士号を持っている人がほとんどですが、中には(昔からNPの人は)持っていない人もいますし、州によっては国家試験を通る必要の無い州もあります。
定義は州ごとに違うものの、「なになにの診断はしてもいい」という定義はなく、「医師が同じビルの中にいて、必要あらば相談するならばなら診断、処方をしていい」だの、「医師と難しい症例は電話で相談するなら診断、処方はしていい」など、みなかなり鷹揚(?)な定義です。
そして、「あやふやだからこそ、できることなら任せちゃえ、と任せられ、その機能が広がった」という、面白い歴史についても、数人の人に聞きました。

言い方は悪くすると、既成事実で発展した、そうでなければここまで発展できなかっただろうということです。
NPに任せることが限られていると、結局は医師に確認する事項が増え、医師の時間セービングにはならない、と言う意見も聞きました。

NPだってもちろん、任された責任を喜んでいます。(プライマリケアでは。ほかの、急性医療などでは、医師に最終責任があるからある意味気が楽でもある。相談できる人がいるというのがいい、とも聞いた。)

NPが自律しているからこそ、NPが役に立てる(しかも、NPとしてやりがいがある)ということです。
医師もNPも、その方がハッピーなのです。

Comments

NPの定義

定義というのは規制するためにあるのではないと思います。でも、そのいみで 日本ではNPの定義を探していらっしゃる方々も多いのかもしれません。
定義というのはなるべくその定義したい状況、物、現象を適切に描写するのですが、医療の世界は残念ながら進展なるのみ、患者の医療への期待もたかまるのみ、
テクノロジーの発展を支えても、それを支える人間と癒しのスピリットは機械的にうまれてきませんから、定義をむずかしくする様に思います。それで、法律的にもある程度曖昧な、サポートするという同士や相談する、協力するということばがよく使われます。なにを診断してもよい、ときめてしまうと、帰って危ない状況もでてゆくような気がします。

幸い、新生児NPはまかり間違っても成人病を診断しようなんて思いません。たとえ、そうぞうが 着いてもです。scope of practiceの枠外ですから。
経験によってNPの裁量権は違いますし、その1人1人のNPの自分のできる範囲という感覚が違います。
病院のなかでも大きなことがおこって、相談する時間をとっていたら患者さんが亡くなってしまう場合もあります。
そういうときはまず行動をおこして、事を始めつつ、起こっている事を医師に電話連絡して相談をしたり、助けをよぶという事もあります。それは定義内だから、定義枠外だからという判断の仕方ではなく、これは私の扱い慣れている状況、また、扱い慣れているけれどできれば1人で扱いたくない事、といったComfort levelと、医療判断による事だと思います。
医師の業務には定義はあるのでしょうか。

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