ニカラグアに戻ります

3月6日から13日まで、ニカラグアに行ってきます。2001年に4ヶ月住んでいて、いつか戻るよ、また会おうと言って別れた大切な人たち。

私たちが多くの時間を過ごした村、ウィスパンテは、ニカラグアの中で一番暑い(って、相当暑い)チナンデガからバスで約2時間。

今は11人の子供を支えていたマリナは死んでしまった。
心臓が悪いから妊娠するなと医師に言われ、それでも11人目、エディ、を生んでしまったマリナ。41才だったが、3年ほど前に亡くなったらしいと噂で聞いた。
もしかしてまた妊娠して、それで亡くなったのだろうか。
避妊用具を手に入れるために病院に行くバス代もないほど貧しかった。
それでも私たちボランティアが行くと、ニワトリを締めてごちそうしてくれた。
ベジタリアンの友達もみんな食べていた。
命の味がした。

私たちが住んでいた町、エルビエホは、銀行もスーパーもなく、市場がひとつと、ビリヤード場、病院がひとつ、バナナ農場からの農薬で汚染が激しく、(現地の水をそのまま飲んでいた私たち。思えば怖い)親に面倒を見てもらえないストリートチルドレンがたくさんいた。私たちは彼らに字を教えていた。
私たちと、ただただ人間として親しくなった、マルタ。英語はできないけれどコンピューターがちょっとできて、サンディニスタ派の活動者だった。

スペ後のうまくない友達が病気になった時(結局マラリアでなくデンゲ熱だった)遠くの大きな病院までタクシーに乗っていった。その時、「心配だから」と自転車でタクシーの後をおいかけ、一緒に行ってくれた、クレイジーなマルタ。彼女も「水が悪いから肝臓が悪くて」と言っていた。その後、病気が重くなったらしいと聞いた。
先週、メルアドが友達を通して見つかったので送信してみたら、「そのアドレスは存在しません」と返ってきてしまった。生きているのだろうか。今は40代だろうが。

お年寄りは多く見かけなかった。子供の多い国だった。短い寿命を必死で生きていた。みんな絶望せずに夢を持っていた。犬も、ニワトリも、人間も、多くが痩せていた。

家族と友達から、ニカラグアのための募金を集めた。現在、なんと1035ドルになった。みんなありがとう。

知り合いのニカラグア人、フェリックスが先週アメリカに来ていたので、聞いて、血圧計、喘息の機械などをこちらで購入した。(自分の処方箋を書けてよかった。便利。)
現地では、フェリックスの同僚に買い出しに連れていってもらい、服、クレヨンや本などを購入する。
マリナの写真も額に入れて持っていく。子供たちは母の顔を見たいだろうと思うから。

モノをあげながら、向こうのプライドを尊重するのがすごく難しい。
アメリカよりニカラグアの方がいい点を言うと、とてもとても喜んでくれる。
水がただである(井戸だから)とか。洋服をものすごくきれいに洗うとか。病院の治療の多くはただであるとか。

私たちのきれいな靴を見て、びっくりしていた彼らが、心もどこかで自分たちの貧しさに気がついて傷ついていたのを、私は感じ取ったのだ。

「アメリカに行けばサヤカみたいにお金持ちになれる」と思わないで、ニカラグアで頑張ってほしい。北アメリカを目指した若者の多くが旅中で危険な目にあったのを、私は知っている。それは自分勝手な望みだろうか。

小さいころとても貧しかったポーランド人の友達、アガタが言っていた。「寄付をあげる人たちが来て、手を差し出す自分がひどく惨めだった」と。今はポーランドの外務省で勤めるアガタ。(ちなみに今はアフガンにいる)
そのような思いだけはニカラグアの届けたくない。でもモノは届けたい。

もしマルタが生きていたら、今なら診察してあげられる。薬を買ってもあげられる。でも、それは一時的な解決策でしかない。

多分、辛いことも多い旅になりそうだ。昨日の夜も考えていて眠れなかった。
だから今まで8年間戻らなかったのだろうか。

でも行ってきます。
私の心のかけらを置いてきてしまった、ニカラグアに。

ちなみに、写真のほんの一部をこちらに載せています。よかったら見てください。

ちなみに、寄付をあげたければ今からでも間に合います。teamiryou@mail.goo.ne.jpまでご連絡ください。

来週の金曜日に行ってきます!
緒方


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Comments

Unknown

よい旅になりますように。土産話を待ってます。

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